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カラルの観光客数増加゚ロジェクト

今回は「カラルの観光客数増加プロジェクト」について。

古代遺跡カラル自体についての紹介は、
5月の終わりから6月の初めにかけて
当ブログでしているのでご覧ください。



バランカはヒトの流れが激しいところです。

バランカの上にパンアメリカンハイウェイが
通っていることが大きいと思います。

バランカの住民のかなり多くは、バランカの
北隣アンカシュの山の方からから移り住んできています。

一つは1970年に起きた「アンカシュ地震」という
大地震をきっかけに、アンカシュから人が散り、
そのうちの一つとしてバランカへ人が押し寄せてきたもの。
50,000人以上もの人が家屋を失う大地震でした。

もう一つは、ここ20年くらいのペルー経済激動の時代に
段々とアンカシュから南へ散っていき、
その一つとしてバランカへ移り住んできたもの。
ペルーでは山岳地帯が一般的に貧しいと言われ、
アンカシュは山岳地帯を擁しています。
経済の影響を真っ先に受けるのは常に貧困層です。


入ってくる人あれば、出ていく人もあります。


バランカの住民の多くは出稼ぎに出ていきます。

国内ではバスで4時間で行けるリマ。
これはもっとも手軽に行ける出稼ぎ先です。

海外ではチリ・アルゼンチン・米国・欧州・日本と幅広いです。
多くは借金をして飛行機代や
出稼ぎに必要な書類を揃え、出かけていきます。

彼らの中にはバランカへ戻る人もいれば、
出稼ぎに行った場所で永住する人もいます。





都市・街を形成する上で大切な要素はたくさんあるけど、
その中の一つに「雇用の安定」というものがあります。

雇用が無ければ雇用のある所へ流れて行ってしまう。
雇用のある場所に人は集まってくるものです。



バランカでは不安定な雇用が顕著です。

前回書いた古いデータだと、43%の住民が
「日雇い労働者」とされています。
彼らは繁忙期には職を得ますが、
そうでない時には週2~3しか働けていません。

そうなると職を求めに外へ出ていってしまいます。

その現状を反映するかのように、
バランカの人口は微減を続けています。

10年後・20年後のバランカは今のままで行くと
いったいどうなってしまうのでしょうか?



前置きが長くなりましたが、そこで「カラル遺跡」です。

カラルはバランカ最大の産業資源。
ここが観光地として育つかどうかが
バランカの将来を左右するといっても
過言ではないと思っています。




観光産業成長の良い循環を考えてみました。


①観光客増加        →   ②観光収入増加
      ↑                  ↓
④観光設備・施設充実   ←   ③観光投資増加


便宜的に数字はつけていますが、
どれが1番はじめとか、どれが1番大事
と言うわけではありません。
    

私の活動としては、少ない資金で出来ることをと思っています。

そうすると、上の図では①、「観光客増加」ということになる。
①をしていくことで上の良い循環にのせていけたらと思っています。

具体的には宣伝活動となります。

①団体客誘致への交渉
②メディアへの依頼
③宣伝物の発行

といった感じでしょうか。



やりたい案はたくさん、現実は地道に一歩ずつ。
確実に進めていきたいと思います。




2,008年のカラル訪問者数は約5万人。
私が帰るまでに、出来る限り増やせたらと思います。
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零細農家生産効率改善プロジェクト

今日から3回にわたってプロジェクトの3本の柱について書きたいと思います。

まずは「零細農家生産効率改善プロジェクト」いついて。

バランカ内の多くの住民は、何かしらの農業をしています。

古いデータによるとバランカ住民の23%が農・水産業、
43%が日雇いで農業に従事と書いてありますが、
この数字は実はそんなに意味がありません。

ここ2カ月近く、約30か所を約100人に聞いたところ、
ほぼ全員の人たちが本業または副業・家庭用
として、農業を行っていることがわかりました。
本人は行っていなくても、その人の家族の
誰かしらは行っている場合がほとんどでした。

彼らにとって生活の一部である農業。
彼らの農作物の出来が彼らの生活を左右するといえます。

他の条件が変わらない限り、生産効率が上げれば、
自ずと彼らの生活水準向上に直結するということです。
だから、それを活動にしてしまおうというわけです。



生産効率を上げるには具体的にどうしたらよいか。



以下、住民の話(活動につながるものを抜粋)
「俺んとこは、ブドウを作って市場に出してる。
でも最近肥料が高くなり続けてて、困ってるんだよね。
ブドウの木に寄ってくる虫やカビや鳥たちも厄介だ。
やっとできたとしても、安く叩かれちゃうことが多い。」

という話でした。
(ブドウの他にも種類はたーくさん)


そこから以下の活動を導き出しました。
・経済的・効果的堆肥作り
・経済的・効果的害対策
・販売ルート開拓
・製品開発
といったところです。


他にも灌漑やポンプ・ダム・農機等不足が問題点として
出ましたが、まずはソフト面を中心に考えていきます。




もちろん私、農業の専門家ではありません。
でも、
・情報を集めること
・その情報を流布するための仕組ややり方を考えること
・それら考えた仕組みややり方を実行に移すこと
これが村落開発普及員の仕事だと思っています。


まずは情報集め、頑張ります!!

また、何かアドバイス等あったら是非ください

活動の報告

(前回の続き)

部長や市長と「協力し合って頑張っていこー」
っていう話をした時、彼らに期限を決めて
「この数週間何をやって、これから何をしていくか」
という内容の簡単な報告書を書くことを約束しました。

ちょうど、聞取り調査が佳境に入って、
消化して、まとめて、活動内容を固めようと
思っていたのでちょうど良いタイミングだと思っていました。

でも、スペイン語での報告書ってそういえば、
そんな書いたこと無いやとか思いながら、
何とか先週の木曜日に書きました。
その時、Chikakoさんの旦那様には
スペイン語のチェックで相当お世話になりました。
ありがとうございました


報告書の超要約は以下の通り。

1.やってきたこと
・バランカ内20数か所に足を運んだこと
・およそ100人を相手に聞取り調査をしたこと
・聞いた内容は特定分野に絞らず多岐にわたったこと

それを受けて

2.活動として行うこと
a. 零細農家生産性改善プロジェクト
b. カラルの観光客数増加゚ロジェクト
c. インフラ整備プロジェクト


思いっきりまとめるとこんなかんじです。


プロジェクトの各々の内容は、
すぐにでも手をつけるものから
まだまだ具体性に乏しいものまで差がありますが、
まずはこれを軸にやっていく予定です。


それぞれの内容の詳細は次回以降にまわすとしましょう。



これを出してから、更に部長の私への協力体制が増した感じがします。

今朝から週一の部長・副部長会議に参加させてもらってます。
四半期ごとの会議の参加できるはずです。
私が人間開発部の動きを、部長や各副部長が
私の動きをともに頭に入れられるようになりました。
また、関係のあるイベントにも彼らから
積極的に誘ってもらうようになってきました。


プロジェクトが固まったのも大きいです。

聞取り調査をしているときは
バランカ内には問題点が無数にあることを感じていて
「何から手を付けていこう?」
「どこまでが私にできる範囲なんだろう?」
「何が活動としてよりよいのだろう?」
云々という問いが私の頭を占め、何か落ち着きませんでした。
でも、暫定的ではあるけど、私の中で上述の問いを
真摯に一つ一つ検証して、3つのプロジェクトを導き出せました。
小さい私の脳みそで導き出した内容だし、今後、
新たなる気付きを得る可能性だってたくさんあります。
でも、最初の方向性が定まってよかったと感じています。

バランカ入りして約2カ月、のってきました。
どんどん加速していきましょう。


最後に問題です。
これ、何の畑でしょう?
キーパーの手袋 002














正解は…、







ブドウでした。

地位と位置

(先日若干ふれたことも含めて詳しめに書きます)


私の所属はバランカ市役所人間開発部です。

んで、「青年海外協力隊1名」を申請したのは
当時の人間開発部長である今のカウンターパートです。



…。



ん、当時の?

そうなんです。

私が来るまでの間、人間開発部内では、
あんなことやこんなことなど色んな事があり、
今、彼は、副部長の職についています。

「あんなことやこんなこと」を知らずにバランカに着任した私。
初日から何かしらの違和感を感じながら過ごしていました。

まず、私が一番最初にカウンターパートと人間開発部の
中に入った時から、非常に変な空気が流れていました。

活動を進めていく中でも、
何より事が全くと言っていいほどうまく進まない。
私自身も人間開発部とは違う部屋に入れられ、
人間開発部の人間でありながら人間開発部との
接触は殆どありませんでした。
カウンターパートは、たまに私と顔を合わせて
「あれをやろう」「これをやろう」と言うだけ言って、
結局やること無く流れてしまうか、
私に「やろうって言ってたじゃない」って言われて
渋々成されるというおかしな状態が続きました。

これはどうみてもおかしいと感づいていた私、
信用のおける他の人に「何かおかしいのでは?」
と伺うと、「あんなことやこんなこと」を知ることになり、
全て芋づる式に真相が明らかになりました。


まず、カウンターパートは部内評価により私が着任
する前に部長から副部長へ降格させられていました。
彼の言動や行動・仕事に対して
部内で不満・不信感が募っていたようです。
(初日からの部内の「違和感」の原因はここでした。
また、私を悩ませていたカウンターパートの「いい加減さ」も前科持ちでした。)

だから、現在、彼は人間開発部での
居場所が殆ど無いに等しいんです。
彼自身も一日の大半を人間開発部の外で過ごし、
人間開発部の催し物にも殆ど参加していません。
(上述「たまに顔を合わせる」ことしかできないのは
このせいで、彼とのコミュニケーションする機会がありませんでした)

それから、降格時の引き継ぎも殆ど無かったようです。
これは後日談としてですが、
現在の部長と最近お話をした時、
「実はあなたのデータが引き継がれず、
どういった経緯で招き、あなたが何をするのか
さっぱりわかっていない」
とのことでした。
カウンターパートが全て止めてしまっていたようです。
(私と人間開発部の距離は遠かったわけです)

また、部長から副部長になった事で
活動範囲が狭くなったことも事実のようです。
市役所所有の車を使える権限が著しく減ったり、
人間開発に関する全てを受け持っていたのが
今は経済分野だけになったり、といった感じに。
(カウンターパートが「いい加減」というのもたしかだけど、
現在が協力隊要請時とは状況が変わり、
私を扱いきれない地位に彼がいるというのも事実のようです)



3週間くらい前、そんな「あんなことこんなこと」を
知ってから、私の考え方ががらりと変わりました。

それまでは、カウンターパートが人間開発部と
私をつなげる橋渡しをしてくれればいいや。
他の人材や資材も、彼の権限を使って
くれれば色んな可能性がある、と思っていました。

しかし、上述のことを知ってから
今のままではだめだと思うようになりました。
もっと自発的に人間開発部や他の人に絡んで、
人脈とかも作らねば、コミュニケーションも
取らねばと思うようになりました。


そこで、まずはその人間開発部との関係を
近づけるため、前回書いたChikakoさんのスイーツ屋の
プリンを人間開発部の皆さんに買っていきました。


みんな大喜び。


このプリンがかなり好評で、
このおかげで確実に人間開発部との距離が
一気に縮まったことを実感しました。
これにより、一気に壁が崩されました。
本当にすべてが変わりました

私も頻繁にカウンターパート以外の人間開発部の
人たちと直接的・間接的にコンタクトを取るようになりました。

彼らも元々カウンターパートという障壁により、
私に踏み込めなかったのですが、
そういうのを取り除けば、私の存在・仕事に
対して大いに興味を持っていたようです。
プリンをきっかけに、私と「協力し合いたい」という
空気を前面に出すようになってきました。

また、現部長の提案で部長との食事の機会まで
用意してもらって「お互い協力し合おう」という話を
いただいたというのは先日書いたとおりです。



「あんなことやこんなこと」を知った後、
正直、どこの部署にも属さない、実質
「独りボランティア」もやむなしかと思っていたので、
最近の展開に、人のつながりの有難さ、
仕事のしやすさということを実感しています。


カウンターパートは悪い人では無いと思います。
「いい加減」っていうのもラテンアメリカでは当たり前のこと。
ただ、人を束ねたり、操ったり、コミュニケーションを
取ったり、総合的な視点から全体を観るべき
「上に立つ立場」という面でみると、
私の意見では、不向きであるかなとは感じますが。


今日はちょっと長めでした。
(恐らく次回に続きます)

ロバくんでさようなら。
アレナレス等 020


バランカで日本を感じる時

今日から一見遠そうなテーマだけど、
関連ありの内容3連続のシリーズ(の予定)です。



私の住む街、バランカは、日系人が多い街です。

中央広場に日系人協会の建物はあるし、
日系人が経営するレストランやお店も結構あります。
二世とか三世とかばっかりで、
ほとんど日本語は話せないけど。

また、バランカの街から車で15分位のところに位置する
サンニコラスのいう街には日系(日本)人墓地も存在します。



また、バランカから日本へ出稼ぎに行っていた人も多く、
人の多い所、例えば市場なんかを歩いていると、
怪しい日本語で話しかけられたりします。


「バランカにおける日本人パイオニア」
みたいに
意気込んでペルー入りしていた頃がとっても懐かしいです。


んで、3週間くらい前のこと。
バランカがどれだけ観光地として知られているか
検索をかけていたところ、
日系の方でも日本に行ったことがある方でも無い、
日本生まれで日本育ちの方で
バランカに住んでいる方のブログを発見!!

しかも、スイーツ屋さんを開いたばっかりとのこと。

それはそれは驚いて、すぐにお店に足を運んじゃいました。

その方の名はChikakoさん。
日本で働いていた現在の旦那様と結婚され、
旦那様のご実家のバランカに移り住んで6年目。
元気なお子様2名とバランカ市内に住んでおられます。

もー、パイオニア気取りは一気に吹っ飛んだけど、
そんなことは実はどうでもよく、
何より「心強い」の一言でした。
「同郷」に安心を覚えるって
こういう感覚なんだと心から実感。

そして、スイーツが美味い!!

メキシコのプリンは日本人好みなのか、
まあまあ美味しかった記憶があるんだけど、
ペルーのプリンは、少なくとも私は、
そんなに好んで食べようと思いません。

でも、、Chikakoさんのところのプリンは
まさに「日本で食べるプリン」そのもの。
くどくなく、まさにちょうどよい甘さ加減・味加減です。
仕事の合間にちょっくら顔出しては、
もう何個もいただいております。


他のケーキ類もまた美味いです。

ペルーのケーキは、私の舌からみるとピンからキリまで。
本当においしい所もあれば、甘くてしつこくて
苦しみながら食べきるものもあります。

バランカに限って言えば、苦しむ方が多かった。
でもChikakoさんのケーキは、
これまた日本人の舌にぴったりです。
「この微妙な甘さ加減や苦さ(ティラミス)は
ペルー人にはなかなかわかるまい」
と思いつつ、いただいています。
でもChikakoさんのスイーツはペルー人にも
売れているようなので、
「実はペルー人も内心自国のスイーツを
甘過ぎと思っているんでは?」
と最近は思うようになってきました。

そんでもって、今日なんて、
カレーをいただいちゃいました。
非常に美味くて、なんとも幸せな気分でした。
バングラのカレーもネパールのカレーも美味いけど、
やっぱり日本のカレーが一番ほっとしますな。

とっても感謝であります。

Chikakoさんのブログは右のリンクよりご覧ください。
Chikakoさんのお店のホームページはChikakoさんのブログの右側リンクより。

バランカ訪問の皆様には喜んでご紹介させていただきます。


(いやー、本当は写真と一緒に載せたかったんだけど、
いつもなぜか取るのを忘れてしまうので
今日のカレーを機にご紹介させていただいています。)



写真ないのもなんか悲しいので、今日巡回した時の、
「砂浜の砂にはまって動けなくなっちゃったの図」、載せます。
味の麺 012
味の麺 011


動かすのに村の男衆動員してもらいました。

取る人・守る人

私、Ernestoは小さい頃から野球をやっていました。

高校まで野球、大学からは似て非なる、しかし、
大きな括りだと一緒にされてしまうソフトボールをやっていました。

そんな私がペルーに来てから始めたスポーツ、サッカー。

初めのころはフォワードをやって、下手糞ながら
美味しいところだけは持っていって、
1試合に1得点平均は挙げているという感じでした。

しかし、兎にも角にも下手糞なのが目に余る。
例えば30分の試合時間のうち、
点取る時間と点取りそびれる時間
合計1分間くらいしか、仕事してないわけですね。
他はパス出しても安全パスかカットされるかだし、
ドリブルは切返し1回しか疲れちゃって出来ないし、
パス来ても展開できないか取られちゃうかだし…。
まあ小さい頃からサッカーやっている奴らにはじめたばかりの
私が勝とうとする事自体無理なことなのかもしれませんが。

でもこのまま引き下がるのはなんとも悔しい。




そこで、手を使うスポーツをしていたことから、
キーパーを志願

結果、フォワードなんかより全然マシです

チームメートも、
「置くとこ無いからやむを得ず置いていたフォワード時代」
とは打って変わって
積極的に「キーパーやってくれ」と言ってくるようになり、
相手チームからも「次は入れるぞ」的な、
ライバル的発言も出てきています。

んでもって、買ってしまいましたわ。
キーパーの手袋 005
素手と全然違いますな。


以下、思ったこと列挙
・疲れ方がフォワードと違う
・キャッチャーに似た疲れ方かな?
・1対1、こえー
・まだ出るタイミングがつかめません
・至近距離シュートもこえー
・ソフトボールとはスポーツが違いますな
内野からのバックホームは「取りやすいボール」
相手からのシュートは「取りにくいボール」
・ソフトボールであんだけ痛がってた肩が痛まず
・蹴るパスより投げるパスの方が20倍正確です
・でも速過ぎって文句言われます
・そん時だけ妙にNAKATA気分
・でも最近のあだ名は「SAWA」
(ペルーリーグのシエンシアーノで大活躍、今は柏レイソルの沢選手)



なんか色々書くことあったんだけど、まずはサッカーネタ。
他は次回以降にまわしましょう。

チャーハン

中華料理はもはや、ペルー料理の一部になっています。

あっちにもこっちにも中華ばっか。

でも、いちいち量が多いのです。

今日はその中華に挑んできました。

「南米でのひとコマ3」


同じ題名でyoutubeにも載せています。

※ニコニコは登録していないと観れません。
登録は無料でです。
登録が面倒な方は、youtubeでどうぞ。
「南米でのひとコマ」を検索していただくと出てきます。

濃い一日

昨日はなかなか大変な一日でした。

まず、朝出勤すると、市役所の
鉄格子が閉じられてる!!
「Ernestoだよー。入れてくれよー。」
と警備の人に頼んで入れてもらうと中では
「市役所の財源ピンチにより給与が払えないかもしれませんよ説明会」
が開催されていました。
なんでも世界同時金融危機のあおりだとか。

続いてカウンターパートとの話し合い。
実は、ここずっと、カウンターパートの無責任な
言動に振り回された1ヵ月半で、
これには相当頭を悩ませていました。
んで、昨日は
「無責任な言動は、最終的に他人に迷惑をかけますよー」
という話をしました。
2人きりで30分くらい、図説までして。
最初はなかなか話がかみ合わなかったけど、
最終的には「たしかにその通りだ」「気をつける」とのこと。
話し合いは成功でした。

村落を巡回して戻ると、所属する
人間開発部の部長長との話し合い。
私がバランカに派遣される前に
人間開発部長が変わった関係で、
うまく意思疎通が出来ていないままでした。
これはまずいと他の人に話したところ、
その人が根回ししてくれて、
一緒に食事をすることになりました。
「お互い親密に連携しあってともに頑張っていこう」
という話をしながらの食事となりました。

更には、食事から戻って一人、事務所で
メールを書いてると、ひょっこり市長殿がお出まし。
「最近どうだ?
お前の活動には大変興味がある。
もっと私との間のコミュニケーションを密にしていこう」

とのお言葉を15分くらいかけて頂戴しました。
ハードな生活の中、恐縮です。


バランカ来てから一番気疲れしたかもなー。



記念に(?)幼稚園時代のErnesto貼っておきます。
App0001[1]

一日の仕事の流れ

今の1日の流れを紹介したいと思います。


まず朝、市役所に出勤。
俺の一日 001


3階へ向かいます。
普段の部屋は、属する人間開発部ではなく、
システムエンジニアリングと一緒に机を並べています。

これが同室で働くオシート(熊さん)ことエドワルド。
俺の一日 002

こちらが二十歳を過ぎたばっかりのルチョことルイス。
俺の一日 003

2人には本当にお世話になっています。


席に着いたらしばらくの間、メール返したり、
前日までに行ったところのまとめをしたり、
その日行く場所の記事を読んで予習します。


そしてここからがメインの仕事。

数時間かけて村落を巡回します。

これがお世話になってるタクシー運転手、アルベルト。
俺の一日 004
いい笑顔です。
上述エドワルドの紹介。


こ~んなサトウキビ畑を通ったり
俺の一日 006
砂漠地帯を通りながら、
村落へ向かいます。


10分くらいで行ける所や1時間近くかかる所、
様々で場所にもよるけど、1日1~3か所廻ります。
俺の一日 007


彼らの生活を邪魔しないことを心がけながら
各村で2~4人、出来る限り「老若男女幅広く」を
意識しながら色んな人に、色んな話を聞いていきます。


暮らしは?仕事は?インフラは?教育は?ゴミは?
出身は?村や家族の力関係は?保健衛生は?等々。

理想は自然な会話の流れで聞き出すこと。
でも相手あってのことだし、見ず知らずの
アジア人に心開いてもらうのも難しいものです。
それでも1番最初に比べたら上手くなったと思います。

この日は羊を放しに来たおばちゃんと会話。
俺の一日 011

このときは立ち話だったけど、普段は座っての会話が多いです。


こんな感じで1日を過ごし、市役所に戻ります。

市役所が閉まるまでの間、出来るだけその日のまとめをしおしまい。


あと10日はこんな生活が続くと思います。

アマソナス州での武力衝突

日本でも報道されているように、ペルーの先住民と
警察が衝突し33名の死者、けが人多数が発生しています。

場所は下の地図の赤く塗ったところ。
0 departamentos de Peru先住民衝突
ちなみに私が住んでいる所はオレンジで塗ったところです。
バランカからは山脈の向こう側で、しかも900キロくらい
離れているので直接的な影響はないのですが、
人々の関心の度合いはこれだけの
死者が出たこともあってか、非常に高いです。


もともとこの地域は1ヶ月くらい前から緊張が高まっていました。
ペルー政府から非常事態宣言も出ていました。
6月に入って武力衝突が起こったようです。

そもそもの緊張の原因は石油を開発を民間企業に
認めることを受けて先住民族側が激しく反発したものです。

今回の武力衝突を受けて
「女性・社会開発大臣辞任」
「内閣『警察の死を追悼する』」
「(もともと先住民側が行っていた)道路封鎖解除」
等々、el comercio紙の
「もっとも読まれている記事ランキング」
には今回の事件に関する記事がたくさんです。

ちなみに立場上、意見は控えておきます。

以上、今日は他の事を書こうとしたけど、
ヤフージャパンのトピックスにも出たのでこちらを書きました。

バランカの有名レストラン

バランカの有名レストラン"TATO"へ行ってきました。

地元では超有名で、バランカの人なら誰でも知っています。

「南米でのひとコマ2」(全部この題名でいきます)



youtubeでも同題名で載せています。

あー美味かった。

インタビュー中の出来事

活動で村落を巡回してインタビューを撮っていた時の出来事。

インタビューの内容とは関係ないところでおもしろい画が撮れました。
内容が内容だけにどうかなと思いましたが、
ブログへの掲載もみんな快諾してくれました。

ちょっと言葉も汚いけどね。

試験的にニコニコ動画に載せています。
(音を大きくした方が面白いです)


同じ題名でyoutubeにも載せているのでご確認ください。

インタビューをすると、厳しい現実を知る機会でもあるから、
心苦しいところもあるんだけど、こういうひと時には和ませてくれます。

カラルについて その5(活動との関係)

今日はカラルと活動の関係について書いてみたいと思います。

カラルは、バランカ内最大の資源です。
今バランカ内で産業としてもっとも可能性を秘めているのがこのカラルです。
カラル 047



まず歴史的な価値が高い
これは前回までに書いてきたことです。
世界史を覆す可能性のある遺跡ですから。

それから、視覚的なものもたくさんの可能性があります。
エジプト程ではないにしても修復中のピラミッドはあるし、
夜の、火の見世物もかなり素晴らしいものがあります。
また、発掘物も、今はリマに行っちゃってるけど、
姿かたちはしっかりしてるので、カラル付近に
博物館が出来て、そこに所蔵されたらすごいことになります。

素材は十分です。
あとはこれを如何に生かして、人を呼び込めるか。
また、呼び込むための準備が出来るか。
ここにバランカの未来がかかっている
と言っても過言ではありません。

実際は、2004年に具体的な調査が始まったばかり。
まだまだ観光地としても、全然知られていません(動画省略)。
行くまでの道も相当ガッタンガッタンだし、
近くのホテルも水洗トイレも売店もつい最近出来たばっかり。
まだまだ観光客も少ないです。
カラル 016
駐車場もこんなかんじ。



これが十分認知されて、開発も進むと、どれだけの
観光客がここを訪れ、バランカが潤っていくか、楽しみです。

今のところ何個か具体的な活動を考えてるけど
そのうちの一つが「カラル」ということになりそうです。

いつかは
「ライバルはマチュピチュです」
DSCN0965.jpg



「ナスカの地上絵なんて目じゃありません」
DSCN1135.jpg


って言える日が来ることを夢見て。


ひとまずmixiに「カラル遺跡・文明」というコミュニティを作ってみました。
「カラル」って検索すると出てくると思うので、是非参加してください。

カラルについて その4(暮らしについて)


今回は当時のカラルの人々の暮らしについて書きます。

カラル 018



カラルでは、数千人が住み、都市国家を築いていたと言われます。
カラル 009


彼らは灌漑施設が備えられた農園で、食糧や綿花を栽培していました。
また、30km以上離れた海からの海産物や、
300km以上離れた場所でないと採れない植物の粉も
見つかっていることから、幅広い交易があったことが想像されます。


遺跡調査が遅れた原因でもありますが、土器の使用が見られません。
鉄の使用もありませんでした。
対して、遺跡の価値を一気に上げたシクラと呼ばれる植物性ネット
(これを炭素測定した結果、紀元前2,627年という年が割り出された)
を使用した石造建築物を建てました。

右上の写真がシクラ
カラル 043

遺跡にもところどころシクラが顔を出します。
カラル 038


ピラミッドは9個を数え、中には高さ20mを超すものも存在します。
それらピラミッドも祭壇や住居・広場も石で造られたようです。
カラル 022



文字は無かったようですが、キープと呼ばれる、紐をつなぎ合わせて
言語化したものを使った伝達手段があったようです。
このキープは、カラルから約3,000年後のインカでも見られます。
キープは数字以外、まだ現代の研究では解読できていません。

写真右端がキープ
カラル 041


カラルでは火が信仰の対象になっていたようです。
これは、インカの太陽信仰とは異なります。
祭壇では火を祭れるようになっていて、
家の中でも火を祭るための場所が用意されたようです。

当時を再現した夜の催し物
caral en la noche

重要人物の家の中
カラル 019




また、コンドルやペリカンの骨でできた笛やリャマなどの
骨でできた管楽器も発見されています。
特にコンドルやペリカンの笛は大量に発見され、
儀式などに使われていたと考えられています。
カラル 021


儀式で使われたであろうコカインなど幻覚作用のあるものも確発見されています。


カラルでは、防衛施設や武器が今のところ発見されていません。
平和的に都市国家が形成されたようです。



今回は、四大文明との比較は範囲が広すぎるためにパス

でも、充分に四大文明並みの大きな文明の可能性
であったことが感じ取れたでしょうか?



最後に、ここまで書いたことを受けて、
前一度アップされたけど、制作の苦労の割に
そんなに再生されなかった動画を再度アップ!!

(煩わしかったらパスしてください)
カラル

カラルについて その3(地理について)

ちょっと今回はカラルについての地理を
途中マニアックな話を混ぜつつ進めます。



カラル遺跡は現在のペルーの首都リマから
北へ約180km、バランカ郡内スペに位置します。

具体的に説明すると、まずはこれが米大陸。
worldatlas.gif

黒塗りしたところが私のいる国ペルー。

んで、この中のここがリマ県。
0 departamentos de Peru

さらにリマ件の中を行くと
2 localizacion de barranca

ちょっと画が汚いけど、赤塗りしている所がバランカです。

更にその中の南端のsupeってところの下の方。
3 mapa de Barranca

ここにカラルがあります。



カラル一帯は海岸性砂漠地帯で、ケッペンの気候区分では
BWh(砂漠地帯の中でも気温の高いほうで、雨の少ないほう)
に分類されます。


南緯10度という赤道付近に位置しますが、
太平洋にフンボルト海流という寒流が流れるため、
一帯の気温を下げます。

太平洋から30km以上東へ進んだところに遺跡は位置します。
丘はありますが、大きな山は近くにありません。
遺跡の近くにはスペ川という小さな川が流れます。
カラル 022



さて、世界4大文明と比べてみましょう。

四大文明の緯度はだいたい北緯30度くらい。
気候はケッペンの気候区分でいうところのBかC、
つまり、砂漠地帯か温帯地帯が多いようです。


四大文明の共通する特徴は、何より河川です。
エジプト文明はナイル川、
メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス川、
インダス文明はガンジス川、
黄河文明は黄河
と、
呪文のように覚えさせられたものです。

このように
「古代文明には必ず大河が伴う」
「古代文明の条件は大河」

と教えられてきました。

しかし、カラル遺跡の近くを流れるスペ川は
非常に小さい川
です。
とてもじゃないけど、乾季には「水路を使った」みたいなことはできません。

もしカラルが四大文明と同じ規模の文明であったなら
今までの世界史の常識は覆される

ことになるのです。


おまけ:前回の撮影の失敗バージョンその2.
カラル(失敗2)


看板まで一直線で行きたかったけどやっぱり行けなかったの画。
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