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本田圭佑と言葉(URL付け加えました)

本田圭佑、北京オリンピックの時からそれなりに有名でしょうか。

昨シーズン、オランダ2部VVVで大活躍し、1部昇格の立役者に。
今シーズンもオランダ1部で開幕から立て続けにゴールを決め、
今季途中からCSKAモスクワへ移籍。
チャンピオンズリーグでチームをベスト8に導くゴールを決める活躍。
日本代表としても恐らく今年のワールドカップに出てくる選手。


そんな本田圭佑から学ぶべきこと…言語。

まずはこちらを。
長いのでせめて最初の1・2分でも。
通訳の人のいじられ具合が面白いです。


なんかうまく貼れないので、URLも貼っときます。
http://www.youtube.com/watch?v=RXIoFVh7i68

さあ、これを見て何を思いますか?

単語や文法はめちゃくちゃ、発音もめっちゃ日本人っぽい。

でも、、、、コミュニケーションがここまで取れる。

私はこんな日本人を見たことがありません。



これを機に、ちょっと日本の学校の英語教育に考えてみました。

日本の学校における英語教育の特徴は2つ。
ちょっと極端かもしれないけど。


・減点法
・ゴールは入試


1つ目の減点法は、
「はい、サンタンゲンのs抜けたから-5点。
はい、LとR間違えたから-5点。
はい、綴り間違えたから-5点。
はい、studentoって書いたから-5点。
はい、動詞のとこを名詞にしてるから-5点。
はい、Iが小文字になってたから-5点。
はい、New yorkって書かれてるから-5点。
はい、コンマやピリオドが抜けてるから全部で-4点。
はい、残念、61点。
通知表は“3”。」
こんなかんじですな。

日本の教育としては当たり前の採点方法。
加点法にしたら、なかなか成績で区別しにくいから。




もう一つは、学校教育の取りあえずの行先は入試であること。

中学生は高校入試の、
高校生は大学入試の英語試験を目指して
英語教育を受けることになる。

大半の入試で圧倒的に重要な分野は「読む」、次に「書く」。
ちょっと差が開いて「聴く」、ほとんど重要で無い「話す」。

恐らく大学入試の先には、研究で世界の最新英語論文が
読める基礎があるかを問いたいからこういう問題になるんだと思います。



さて、私は決して日本の英語教育を批判したいわけではありません。
目的に適った効率的な方法だと思います。




問題は、学校以外。

ふつう日本人が外国語を学んで話そうとするとき、なかなかうまく話せません。


目的は、良い成績を取るわけでも、「読む」「書く」が中心の
試験を受けるわけでもなく、「話す」ということなのに、
学校英語教育の“呪縛”が頭からなかなか離れてくれません。


減点が怖くて完璧に覚えたものじゃなくちゃ言えない。
「あれでいいのかなー、あれって複数扱い?
あーそんなこと考えるうちに会話から逃げられちゃった」
こんな感じでミスが怖くて会話ができなくなります。


また、「話す」が目的なのに、いつのまにか
籠って読み物や書き取りの勉強をし始めちゃいます。
これは中高時代の勉強の仕方の癖と、
「読む」、「書く」に大きく差をつけられている
「話す」ことへ自信喪失から来てるものと思われます。


そうやって、ますます会話が苦手になっていきます。


そこで、本田圭佑です。

彼の唯一で最大の英語の目的はコミュニケーションを取ること。



文法や単語を間違えたって、「伝える」ということが一番。
家庭教師雇ってどんどん話したり、チームメートと臆せず積極的に話したり。


学校英語教育の呪縛を微塵も感じさせません。
「伝える」という一心でここまで学んできていると思われます。


その結果、今ではインタビューであれだけ立派に意思疎通取れています。

これは、ものすごいことだと思います。





もちろん単語や文法も大切ですよ。
正確に発音しようとすることも大切。
より正確にコミュニケーションを取るためにはより正確に使いこなす必要があります。


でも、それを気にするがあまり話せなくなってしまったら本末転倒です。


彼に「伝えよう」という気持ちがあれば、必ず単語や文法も後々ついてくるでしょう。


彼のサッカーでのフィジカルやテクニック・リーダーシップ、
そしてコミュニケーション能力、今後に注目したいと思います。
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初心忘るべからず

自分の顔をこんなに発信してもいいものかと思いますが、ま、いいか。
別に悪いことしてるわけでもないし。



ということで、前回のブログで自分の顔を改めて見て、
髭かなり伸びたな~って思ったわけです。
IMG_2337.jpg




実際こんなに髭伸ばしたこと過去無かったかもしれません。

ペルー人には「南米の太平洋戦争」時に
ペルー軍を率い殉職した国民的英雄フランシスコ・ボロネッシだとか
Francisco_bolognesi_2.jpg

同じく「南米の太平洋戦争」で殉職した
「海の騎士」ことミゲル・グラウとかに似てるとか言われます。
grau.jpg

いや、ただ単に、髭が伸びただけですけどね。


っていうか、よく見るとグラウなんてあご髭ないじゃねーか!!


細かいことはいいや。


とにかく、飯食ってても髭にいろんなものがくっつくくっつく。
飲み物さえもくっついて、油断してたらべとべとです。


ということで、
IMG_2340.jpg


剃りました。



なんかこれだけじゃ物足りなかったので、
grandeIMG_2342.jpg


刈りました。


「10歳若返った」
by職場の同僚




大学時代とか、ソフトボール部に属してて、
大会毎に気合入れるために髪を刈っていたけど、
その時を思い出して、ちょっと気合が入りました。



ビフォー                         アフター
IMG_2337pequeno.jpg         IMG_2342pequeno.jpg

飛び立ってから1年が経ちました

昨年の今日この日、ペルーへ発ちました。


ということで、活動も半分が経過。
残りあと1年です。





えっと、1年を振り返ると、本当にあっという間でした。



余裕をかましながらスペイン語学校生活を送った最初の1カ月。

新鮮な気持ちで始まったバランカ生活。

配属先での立ち位置が非常に微妙だった4月・5月。

一人でとにかく進めようとした6月~8月。

少しは配属先を巻き込んで活動できるかと思わせた9月~11月。

実は全然巻き込めていないことを立て続けに実感する12月・1月。

潰瘍を患って一時帰国までした2月。

ある意味開き直ってマイペースで活動を再開した3月。



それから、ペルー特有のスペイン語も学びました。

ペルーのクンビアを覚えようとしました。

サッカーデビューもしました。

PCもぶっ壊れました。

辛いと思ったこともありました。

自分の無力さを実感もしました

でも、幸せを感じたことも多々ありました。

いろんな人に出会えました。

ペルーの自然の雄大さにも感動しました。

ペルー料理も豊かでした。



協力隊としてペルーにいられるのはあとたった1年だけです。


思いっきり楽しんできたいと思います。





ちなみに、去年出発直前の写真。
壮行会 017圧縮


約1年後の写真。
446926640X[1]


黒い。
やせた。
髪もじゃもじゃ。
髭伸びた。
服がインフォーマル。



人間1年で変わるもんですな。

体重変動

私の高校入学時(15歳)の身長は約172cm、体重は53kgでした。

以下、12年後の今である27歳までの変動。
(ちなみに身長は3cmしか伸びていません)

16歳 58kg(+5kg)  筋トレ効果
17歳 63kg(+5kg)  筋トレ効果
18歳 64kg(+1kg)  浪人効果
19歳 65kg(+1kg)  筋トレと大食い効果
20歳 65kg(+-0)  有酸素運動量増加で維持
21歳 66kg(+1kg)  筋トレとメキシコ料理効果
22歳 67kg(+1kg)  筋トレとメキシコ料理効果
23歳 67kg(+-0)  部活復帰効果で維持
24歳 68kg(+1kg)  部活引退効果
25歳 71kg(+3kg)  運動不足や社会人効果
26歳 71kg(+-0)  社会人効果は無くなるもペルー料理効果で維持
27歳 66kg(-5kg)  胃潰瘍効果


この最後の66kgってのも、食後すぐだったし、
服着たままだったから、実際は65kg~66kgの間だと思います。


いずれにせよ、細かいことはいいんです。


余計な脂肪が減ったことに対してはうれしいですが、
痩せ方がどうしてもいいものではない。


ダイエットの大鉄則はカロリーコントロール。

正しく食べて、正しくカロリー消費することで
健康的に体重を抑えることができると思っています。


でも、今回はほとんど飯が喉を通さず、
運動等カロリー消費もまったくと言っていいほど
しなかった結果、ここまで落ちました。

これは、まったくもって健康的ではありません。


今後は、しっかり食べて、しっかり運動して、
しっかり筋肉もある程度つけて、それで
68kgあたりをキープしたいと思います。

吾輩はチャコである

吾輩はチャコ。

吾輩は雌、柴犬系の雑種。

吾輩は1994年6月に生まれたらしい。

このとき名前はまだないんだけど、
じきに“チャコ”という名前をもらった。
語源は…なんだっけ?


吾輩は工場の敷地内で生まれたが、
工場に勤める家の友達の家に引っ越した。

その家での最初の日は、
どこに連れてかれるのか
緊張しまくっちゃって、
恥ずかしながら、
絨毯の上で失禁をしちゃった。

その家は両親と、子供が3人。
子供の1番上の兄はErnestoと言うらしい。

子供たちは、夕の散歩で河川敷の芝生で吾輩をよく走らせた。

兄は球を棒きれで遠くへ飛ばし、吾輩が球をとってきた。

兄は球を返してもらうつもりで
手を広げて待っているが、
そう簡単に渡しませんよーだ。
兄の横を華麗に通り過ぎました。

吾輩の首輪にひもをつなげたくて追いかけてくる時も逃げた。
もう少し遊びたいもんねー。

しばらくすると、兄も餌で釣っておびき寄せる作戦に出た。
吾輩は目の前にチーズやパンや煮干しがあると、我を忘れる癖がある。
あっという間につながれて散歩の時間はおしまい。
この癖はいつまで経っても治らなかったな。


しばらくすると、兄は制服を身にまとうようになった。
そのころから、「部活」と言っては一緒に出掛けてくれなくなった。

それでも3年くらいは週末、一緒に散歩したかな。

家でつながれている時は暇だった。
他の散歩の犬が通ると我が家を守るため、吠えた。
しばらくすると、「あいつは襲ってこない」ってわかってくる。
襲ってこなくてもいいや、とりあえず吠えた。


その後の兄は、丸坊主になって真っ黒に日焼けして、
ギラギラしたバッグを持って朝から晩まで出かけるようになった。
ますます吾輩と散歩に行かなくなったかな。
成犬まっ盛りだったのに。

そのころから、子供たちとの散歩の頻度が減り、
お父さんとが多くなってきた。

あれあれ、「世話するから犬飼いたい」って
親子で約束してたの知ってるんだけどな~。

その後、兄は5年くらい、たまにしか帰ってこない生活が続いた。
どうもナゴヤとかメキシコというところに行っているらしい。
だからそんなに帰ってこないんだって。

…ところで、ナゴヤとかメキシコって、食えるの?


でも、帰った時には最高に尻尾を振って迎えた。
兄は毎回
「おー、よく覚えていたなー」
とか言っていたけど、馬鹿にしなさんな。

そんなこんなしてるうちに、
吾輩も、かなり老いてきたなぁ。
走るのより歩くほうが好きになってきた。
ハリやツヤよりもシワやタルミの方が気になってきた。

兄は我が家に住むようになったけど
朝早く出て、夜遅く帰ってくる毎日、
そんなに構ってくれないや。
なんでもトウキョウに勤めているらしい。
週末くらいはちょっとはじゃれあったかな。

吾輩もそんなに元気がなくなってきたから
朝の見送りと帰りのお迎えは元気のあるときだけ。

そうそう、痴呆が激しくなってきたのもこの頃から。
つい間違えて、自分の足を食べようとしちゃったっけ。
「取りあえずいつでも吠えとけー」ともなってきた。

兄は、どうもペルーってところへ行くらしい。
寒かったから丸まっていたけど背中でちゃんと聞いてたよ。
頑張ってきなよ。

吾輩は、自分の足を食べようとしてからは上手く歩けなくもなった。
痴呆も一段と激しくなり、夜泣きも激しくなった。
一人で飯も食えなく、水も飲めなくなっちゃった。
家族の人たちが1日何回も様子を
見に来てくれて頑張って支えてくれたよ。

兄が少しだけ帰ってくるって。
よかったー、間に合った。
ちゃんと別れのあいさつ言えるね。
最後にあえて良かったよ。
ペルーでも頑張るんだよ。
じゃーね。

…ところで、ペルーって食えるの?


       -完-




3月16日朝、Ernestoの実家の犬、チャコが逝きました。

15回も日本の暑い夏を超えてErnestoの家族と過ごしてくれました。

私Ernestoは大学や海外での生活のため、
なかなか一緒に過ごす時間が比べて少なかったですが、
それでも「家族の一員」が逝くという悲しさに襲われています。

上の心の描写は、私が勝手に書いたものですが、
実際でも、忠実なかわいい犬であったと思います。


偶然にも一時帰国で逝く2週間前に会えました。

とても、悲しいですが、最後に会えてよかった。

実際、痴呆が激しくなってからは辛かったかもしれません。
でも、頑張ってここまでよく生きてくれました。

彼女の存在や生きざまはErnestoの家族の
胸に深く深く刻まれたことでしょう。


チャコに感謝と労いの意を表しつつ。

選挙は続くよどこまでも

(選挙の話ですが、主義・思想を主張したり、
誰かに偏るつもりはありません。紹介までに、です。)


2010年10月、バランカにて市長選があります。

いや、バランカだけでなく、ペルー全土の地方や県・市で
一斉にトップを決める選挙を行うようです。

選挙権の無い私は、高見の見物といたします。



そんな地方選が終わったら、おそらくペルー国民の興味は
2011年の大統領選に集中されることでしょう。


1年以上前の今、いや、実は、私がペルーに来た時からですが
すでにもう壁や注目の集まる場所には候補者になる
であろう人たちの名前がでかでかと書かれています。


新聞での「人気投票」で挙がる名前は



(五十音順)

前回も大統領選出馬のウマラ氏
1244657149_Ollanta20Humala[1]



現在リマ市長であるカスタニェダ氏
castaneda[1]


フジモリ元大統領(1990-2000)の娘であるケイコ氏
keiko_fujimori_congresorepublica[1]


前大統領(2001-2006)であるトレド氏
p-011591-00-02.jpg


タレントであるハイメ氏
u1_jaime-bayly_400[1]


などといったところでしょうか。





5年に1度の大イベント。

候補者たちの選挙活動を楽しんで見届けたいと思います。

数カ月の間に

この数カ月の間にブログの書き方を忘れてしまったようです。

書かないかんな~ってことで、意識して書いていきたいと思います。




この数カ月の間、結構悩んだことが多かったんだけど、
その度に、いろんな人に支えられて励まされてきました。


彼らへの感謝は、感謝しても感謝しきれないのですが、
もう2人ほど、他に励ましてくれた人たちがいます。


1つ目は、いっけんくだらないもの。

しばらく前にやってた「笑う犬~」シリーズでのコントからデビューしたもの。



海外でも大人気(?)な、日本発はっぱ隊。

海外での人気はその格好の奇抜さによるものからかもしれませんが…、
日本では少なくとも、その歌詞での魅力もあるのではないかと思います。


お水飲んだらうめー、やったー
日に当たったらあったけー、やったー
腹から笑ったらおもしれー、やったー


歌詞の一部抜粋ですが、
こんな当たり前なことができることに喜びを感じること、
そんな忘れていた大切なことを再認識させてくれました。

ストレスためたり、悩んだりすることは時に必要なことかもしれません。

でも、ストレスや悩みは
「こうでありたいのにそうなってくれない」
という、「欲に対して満たされない感情」からくるのではないかと。

そこで、この歌。
日常にはもっと「やったー」なことが溢れていることを教えてくれます。




活動でも「こうでありたいのにそうならない」ことに悩み、ストレスを抱え、
潰瘍まで患っちゃったけど、これからはもっと一つ一つ、
いっけん当たり前で小さなことにも幸せをかみしめながら、
残り1年、いや、人生をも歩んでいきたいと思います。



ありがとう、はっぱ隊!!





それから2つ目。


私は埼玉県大宮市生まれ。
サッカーは大宮アルディージャを2002年くらいから応援しています。


その大宮アルディージャ、J1n昇格してから6シーズン目、
徐々に有望新人も、入ってくるようになりました。


有望新人が入り始めたのは3年くらい前。


その有望新人として入り、3年目のシーズンを迎えた
DF(SB)塚本泰史選手が先月、骨肉腫が見つかったと発表しました。

塚本 泰史 | 2010年トップチーム選手名鑑 | 大宮アルディージャ公式サイト_1268618089665


入団時にレギュラー番号の2番を与えられ、
去年、20試合以上出場し、まさに今年、
飛躍の年になろうかというときの発表でした。






その発表から現在までの流れはここに書かれています。
http://soccer.phew.homeip.net/topics/info.php?id=116




このニュースが入ってきたのは日本一時帰国中。


1サポーターとして、彼のやるせない気持ちを思うと心苦しかったし、
手術の成功や辛い闘病生活に対して、私からは
何もできないけど、せめて想いだけでも届けと思っていました。


でも、実は、彼の姿に励まされていたのは自分の方でした。

大好きなサッカーを少なくともプロレベルで諦めざるを得なくて、
それでもなお前向きに生きる塚本選手。

対して、私は好きなことをやらせてもらって何をグチグチ悩んでいるんだ、と。
やりたいことを已む無く出来なくなってしまう人もいるのに、と。


やりたいことができる喜びを感じながら、残りの1年、
いや、人生を過ごしていきたいと思います。


ありがとう、そして、ピッチに戻ってこいよ、塚本!!





ということで、当たり前な些細なことに感謝、
今、ここで仕事ができる感謝をしながら生きていきたいと思います!!

PC復活!とともに、思ったこと

とりあえず、パソコンは無事バランカの家に戻りました。

負の連鎖がずーっと続いたけど、
その連鎖の一番はじめがPCの故障。

あの時のショックと言ったらもう…。


たとえば、活動が一気に不透明になった。
活動を、ほとんどPCを前提にしていたので、
なくしたときのショックは本当にでかかったです。


ほかも、いろんな人とコンタクトが取りにくくなった。
いや、こっちにはネットカフェもあるし、電話もあるし、
最低限の連絡を取るのに苦労はまったくしないんですよ。
でも、「最近どうよ?」っていう会話が全くなくなった。
これは、意外と結構でかかったです。


大いに悟らされたのは、
「人間、今ある生活レベルから下がる場合、余程の覚悟が必要」
ってこと。

銀行員→協力隊員って時も、かなり変わったけど、
覚悟があった分だけ全然違ったと思います。

今回は、全然覚悟などあるわけもなく、絶望感だけ残った。
それで、「なんでこうなっちゃったんだろう」って引きずっていた。

あの時、
「ここは途上国。いきなり今より生活レベルが落ちる出来事もあるはず」
みたいなかんじで、覚悟ができていたら、全然違うリアクションを取れて、
その後の過ごし方も変わっていたように思います。

ということで、覚悟を持って過ごしていきたいと思います。

一時帰国の経緯等

「2年間、日本の土は踏まない」
そう思って旅立った去年の3月下旬から
約11ヵ月後、見事に日本に一時帰国しました。


成行きは以下の通り。

11月下旬、腹痛始まる。
12月上旬、ペルーにて服薬治療開始。
1月・2月途中、回復気味。
2月下旬、タール便止まらず、食欲全く無しが続く。


こりゃまずい。
体重も10日で5キロくらいやせた。
食欲も戻る気がしない。
ていうか、腹の痛さがおかしい。


てことで、内視鏡と診断をしっかり受けようと
俺⇔JICAペルー事務所⇔JICA東京
のまどろっこしい指示等やりとりの結果、
日本に内視鏡検査と診断をしに、帰ることに。


検査受けて結果と治療法聞いて戻ってくるだけ
だったので、約十日間ほど限定で帰りました。


内視鏡の予約をするために、
バランカから日本へ予約の電話を入れましたが
急な話だったからかなかなかつかまらなかったけど、
最後にはさいたまの内視鏡歴や診断歴の長い先生に当たれました。


生まれて初めての内視鏡は、気づいたら終わっていました。
あ、一度はゲップしたくて起きて、してからまた意識失いましたが。


診断の結果は胃潰瘍。
三ヶ月間の薬の服用で治るそうです。




今回は、医学的には、もしかしたら帰らなくても
治せたものなのかもしれないけど、一時期治ったりしたものの、
11月に痛かったのが結局ぶりかえしてひどくなったことや、
ペルーでの診断の信憑性を懸念して精神衛生上
落ち着かなくなるであろうと予想できることなどもあり、
帰国して日本のしっかりした病院で見てもらうことを選択しました。



予定外の帰国だったし、検査と診断のためだけ
だったので、なるべく静かに行って戻ってきました。



私費での帰国だったから高くついたけど、
日本の医療レベルという点での安心と、
医療事故が確率的に低くなるであろう安全を
買ったと思えば「よし」としましょう。



それと、今回は日本語では家族レベル
の近い人しか言わなかった帰国でした。
治療以外では、家族レベルでまったりゆっくりできました。
これは、帰国前には期待していなかったことだけど、
たなぼた的に、とてもいい時間が持てたと思います。



3ヶ月間悩まされた腹痛からは、原因が分かって
日本でしっかり診断してもらったという意味では解放されました。

3ヶ月間薬は飲み続けつつ、月曜から活動がんばるぞー!!

一時帰国していました

10日間ほど日本に一時帰国していました。
約3時間前に無事リマ到着。
今日は疲れたので、詳しいことはまた明日以降。
プロフィール

Ernesto

Author:Ernesto
――――――――――――

「世界の子供たちに笑顔を」

これが私のライフワーク。

メール:
purosunao#yahoo.co.jp
#を@に変えてください。

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